オーボエ雑学

第5章 
コンクール、ここが聴き所。

音楽家としての成熟度か、原石の輝きか。

若き才能との出会い。これがコンクールの醍醐味なのは改めて言うまでもありません。そのコンクールで、実は一番スリリングなのは第1次予選だと思います。全員がほぼ同じ曲を吹く。しかしすべて聴き通しても飽きない。それはなぜか。

世代的にいって出場者は10代の終わりから満30歳まで。意外と年齢的に開きがあります。学生の身で勉強中の人が比率として多いのは確かですが、プロとして活動を開始している人も珍しくない。過去の事例でいえば、ヨーロッパでも第一線のオーケストラで首席奏者のポストを得ていた人や、別の国際コンクールで上位入賞を果たした人も乗り込んできたりする。もう十分に実績を認められながら、価値あるメダルの数を増やしに来たような顔ぶれですね。

つまり出場者によってパフォーマーとしての成熟度が異なる。ステージマナーまで含めて、まるでリサイタルさながらに堂々たる姿を見せる人もいれば、まだそこまでの段階には達していないけれど、原石の輝きをふりまいてハッとさせてくれる人もいる。それが各人の音楽的パーソナリティと結びつき、本当に十人十色の演奏が続く。自分が審査員なら、彼ら、彼女らのどこをどう愛で、激励してあげたくなるか……。そう思って聴き進むにつれ、オーボエという楽器が持つ陰翳に満ちた“声”の魅力も手伝い、もはや飽きる暇などなくなるわけです。

作品の質までもが「聴いて楽しい」コンクール

ここで見逃せない美点のひとつが、課題曲の質の高さ。楽器を操る基本技術と音楽的な表現力が直結する、高い芸術性を要求するレパートリーを、時代的にも幅広く選んでいるのですね。門外漢にも楽しめる、名作オンパレード。

第1次予選の課題はドイツ・ロマン派音楽の大家シューマン(オリジナルはチェロとピアノのための作品)と、20世紀を代表する指揮者としても活躍したハンガリー出身のドラティ(こちらはホリガーのために書かれた無伴奏曲)。深い森の中を逍遥するような空気感や明暗の対比感が息の長いフレーズを彩っていく前者と、技巧性に富む楽句が視覚的なイメージを描写性も高く喚起する後者を、どちらも二重丸の演奏でそろえるのは至難の技です。しかし曲の傾向による得手不得手を感じさせては上位進出も望めないだろうし……、などと今から想像をふくらませてしまいます。

第2次予選の課題は4つのカテゴリーに分かれます。まず、細川俊夫が第10回のコンクールのために書き下ろした委嘱作。次にバッハ、クープラン、エマヌエル・バッハ、ヴィヴァルディという、それぞれ様式感覚の異なるバロック音楽から選択した1曲。そして第3のカテゴリーは特に興味をひきます。20世紀に書かれた、これも作曲者によって方向性のまったく異なる独奏曲や室内楽曲と、いかにも19世紀的なヴィルトゥオーゾ性を全面に出したパスクッリが選択肢として並んでいます(自分の得意領域がどこにあるか、その見極めや自信のほどが問われますね!)。そして最後に、オーボエ奏者にとって聖典にも等しいモーツァルトの協奏曲。以上を約45分間のリサイタルのように構成しながら、演奏能力と個性を最大限にアピールし、審査員を含む聴衆に与える音楽的な満足度まで意識しなければならない、実にシビアなラウンドです。興味の尽きない演奏が続くことでしょう。第1次予選で接した印象からすると、「え、この人がこれをこう吹くの?」という意外な驚きを覚えたりするかもしれませんよ!

音楽界の「動向」も感じとれる

出場者の “お国柄”がどのように演奏に反映されるか。それも関心事のひとつでしょう。やっぱりラテン系の人はどことなく楽天的だとか、ゲルマン系は……そしてニッポンジンは……とか。

しかしそんな先入観で語れないのが音楽、特にオーボエの世界。仮に30年以上も前なら、たとえばドイツ語圏で学んだ奏者と、フランス語圏で学んだ奏者は、音の出し方ひとつとっても明確にスタイルの差異があったものです。しかしその後は、特にヨーロッパの音楽界の状況を見る限り、まさに“EU化”へと向かう時代の趨勢を反映しながら、国境を超えたスタイルの歩み寄りが生じていきました。今や日本人も含めて、どこに生まれたかというより、どこでどの教師に習ったかというキャリアのほうが、プレイヤーとしての方向性を推し量る目安となっていると実感します。

このコンクールに足を運ぶたび、筆者は出場者のレベルの高さに驚嘆する一方、何かこう、国境を超えた大きな波のようなものを感じずにはいられません。21世紀のオーボエ界を導くスタイルが形成されつつあり、それをこの若者たちが具現化している。いわば時代の胎動にも等しいものを、いち早く日本の地で実感できるのだ、と。しかし最終的に問われるのは、技術やスタイルを超えた音楽性の高さと、演奏家としての全人格的な魅力です。本選の課題は、まさにその点を浮き彫りにするものといえましょう。モーツァルトの音楽が、演奏者のすべてを映し出す鏡だと評されることは改めて指摘するまでもありません。そしてそのモーツァルトの精神に立ち返ったかのごとく澄み渡った筆致の中に、ドイツ・ロマン派音楽の行き着いた感情表現の精髄を響かせるリヒャルト・シュトラウスの協奏曲。この2人の作品を通じて、今回のコンクールではどんなドラマが繰り広げられることでしょう……。

木幡一誠(Issay KOHATA)

音楽ライター。1987年より管楽器専門誌「パイパーズ」で取材・執筆にあたり、現在は各種音楽誌のインタビュー記事、CDやコンサートの曲目解説執筆およびレビュー、さらには翻訳と幅広く活動中。

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