オーボエ雑学
フルート奏者が、オクターヴ上の音域を受け持つ小さなピッコロを手にするのと同様に、オーボエ奏者にも“持ち替え”によって吹きこなす楽器が存在します。こちらは逆にサイズが大きく、オーボエよりも5度下の(オーボエのドの指使いで、その下のファの音が出る)イングリッシュ・ホルン。ある種の野太さが備わった、田園情緒たっぷりの歌声に魅力があります。そのソロをオーケストラの中で耳にする機会も多く、何といっても代表的なのはドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》の第2楽章。「家路」という歌詞がついた形でも親しまれてきた旋律ですね。そしてまたロドリーゴの《アランフェス協奏曲》の第2楽章。独奏楽器のギターと対話を交わしながら紡ぐ息の長いソロでは、深々と陰翳に富む音色がスペイン的なエキゾティシズムを際立たせてくれます。
そのスペインの民俗舞踊のリズムにのって、オーケストラの楽器が次々とソロを吹く作品といえば、ラヴェルの《ボレロ》。しかしそこで活躍するのはオーボエでもなければ、イングリッシュ・ホルンでもありません。ここでラヴェルがソロに起用したのは、オーボエよりも3度下の(オーボエのドの指使いで、その下のラが出る)オーボエ・ダモーレ。バロック時代には広く用いられた楽器で、特にバッハの宗教作品では重要な出番を与えられたものですが、18世紀後半以降には廃れていました。それが20世紀になって復活した例のひとつにあたります。
クラシック音楽の枠を超えて親しまれているオーボエの音色というものも存在します。日本のプレイヤーでいえば、ケルン放送交響楽団やサイトウ・キネン・オーケストラで活躍していた宮本文昭さんが、ジャズやポップスのテイストを加味した一連のCDで広範なリスナーを獲得したのはご存知のとおり。1999年秋から翌年春にかけて放送されたNHK連続テレビ小説『あすか』のテーマとして大島ミチルが作曲した「風笛」も、彼が吹いていたものです。
映画音楽に目を向けましょう。その昔、1970年製作のイタリア映画『ベニスの愛』で、バロック時代の作曲家アレッサンドロ・マルチェッロのオーボエ協奏曲の第2楽章が用いられ、甘美な旋律と哀感に満ちた情調で大変な人気を博しました。その当時のLPレコードでは、オーボエ協奏曲というと例外なくマルチェッロが入っていたほどです!
そして1986年製作のイギリス映画『ミッション』の中では、映画音楽の大家エンリオ・モリコーネが書いた素晴らしい挿入曲が鳴り響きます。これが「ガブリエルのオーボエ」のタイトルで大ヒットとなり、今なお多くのミュージシャンにカバーされています。“世界で一番ポピュラーなオーボエの旋律”といえば、これかもしれません。ちなみにそのサウンドトラックで演奏にあたっていたのはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団。ソロを吹いていた名手は当時の首席奏者で、今回のコンクールでも審査委員をつとめるゴードン・ハントさんです。
音楽ライター。1987年より管楽器専門誌「パイパーズ」(2023年4月号で休刊)で取材・執筆にあたり、現在各種音楽媒体のインタビュー記事、CDやコンサートの曲目解説執筆およびレビュー、さらには翻訳と幅広く活動中。